ジブリ見た

ジブリを映画館で見た。そしてまたジグソーパズルをやった。ホントはのんびりジグソーパズルを作りながら感想でも書きたかったのだが、950ピースに必死すぎてそんな余裕が無かった。

(ネタバレあり)

風の谷のナウシカゲド戦記もののけ姫千と千尋の神隠し

この順番で見た。ナウシカはもう、小学生の時に7000回は見たのだが、映画館で見て圧倒された。こんなに面白いと思ってなかった。腐海王蟲に怯える(言い過ぎ?)風の谷の人々がいて、腐海王蟲をかつての文明の力で焼き払おうとする軍が現れ、王蟲の力を利用して戦争をする国が現れる。小学生の頃はナウシカ王蟲を何とかする話くらいにしか思っていなかったから、登場人物の多様さにびっくりした。それからナウシカがこんなにも姫としての役割を果たしているのを知らなかった。立派すぎる。

ゲド戦記はこの4本の中で一番記憶が無かった。テレビでやっていたのを断片的に見たことがあるだけだったと思う。ゲドがあの男性というのに一番驚いた。「テルーの唄」を唄うテルーという女の子以外に登場人物の名前を知らなかったから主役の少年が父親を殺すシーンで「アレン…」と言われているのを見ててっきり「ゲドは地名か何かなのかな」と思っていた。
「生と死は組をなすものだから、死を拒み不死を願うことは生を拒むこと」という考え方は目から鱗だった。でもアレンは出頭しに行くようだけど、時代的に極刑なんじゃないかと思ってしまう。なんとか命以外で罪を償ってほしい。ゲド戦記に限った話ではないが、特にこれは原作も読んでみたい。

もののけ姫ナウシカの次くらいに内容を知っていたが、やっぱり映画館でしっかり見ると今まで知らなかった色んなものが見えてきた。一番の感想は、「キャラクター達の感情に押し潰されそうだった」。もののけ姫に出てくるキャラクター達は皆とても賢いんだと思う。それでも、愚かだと分かっていても信念や誇りを持ってひたすら争う姿に圧倒された。
一族が滅びようとも恨みを晴らすために人を襲うイノシシ達や、皆を平等に扱う心の持ち主でありながら取り憑かれたかのように神殺しに向かうエボシ。サンを助けるために力尽きるも首だけになってエボシを狙うモロ、自分が人だと分かっていながら山犬として生きるサン。時代背景や呪いのことを考えれば当たり前ではあるが、優しくて人々や自然の協和を願うあのアシタカでさえ劇中で何人もの人を殺している。そんな登場人物たちの強すぎる思いや行動に押し潰されそうだった。

千と千尋の神隠しゲド戦記よりは記憶があった。ゲド戦記のクモは相手の誠の名を手に入れて相手を我がものにするのに対して、湯婆婆は相手の名前を奪って我がものにするというのが面白かった。
ゲド戦記ほどではないがそこまで記憶があったわけではないので、カオナシは自分はてっきり「何もしてこない沢山いるやつ」だと思っていて、電車に一緒に乗るカオナシとか油屋にいるカオナシとか色々種類があるのかと思っていたらまさかの全員同じやつだった。しかも普通に悪さするし。一つだけ心残りなのが、最後に千尋の顔がアップになるシーンがあったのだが、きっと髪止めが写っていたんだと思う。完全に見損ねた。紫のままだったのだろうか、そのうちDVDを借りてもう一度見てみようと思う。

取ってつけたかのように音響の話をすると、ナウシカゲド戦記を見た時に音の広がりの違いにびっくりした。この4本の中でナウシカが一番古いので当然だが、サラウンドを使っていないのだ。色々調べていると、面白い記事を見つけた。

https://www.google.com/amp/www.moviecollection.jp/news/detail.amp.html%3fp=9507

どこまで行ってもジブリである。呆れるほどジブリを借りて呆れるほどジブリを映画館で見た挙句に映画の歴史にもジブリが出てくる。ただ少し驚いたのは、どうやら5.1chといったシステム自体は1950年代から既にあったことにはあったらしい。サラウンドの歴史なども一度しっかり調べてみたい。

ナウシカゲド戦記ではサラウンドの有無で、LRの使い方も大きく変わっていた気がする。ナウシカは効果音など全てセンターが基本だが、ゲド戦記は映像に合わせてしっかりLRが振られている印象があった。前読んだ本(ナウシカくらいの頃に書かれた本)に「音の鳴るスピーカーをLR振ってしまうと音の行き着く先がそのスピーカーの位置に収束してしまうので、それよりはセンターで観客の想像力に任せた方がいい」と言ったことが書かれていたが、時代が変わり、その辺の考え方も変わってきているのが分かる。映画にアトラクション的な価値が追加されたんじゃないかと思う。それでも、音響技術が古いからと言ってナウシカが古いものだとは全く思わなかった。